今はどうかわからないが、広島県内では8月6日と言えば夏休み中の登校日だった。
広島市内からは遠く離れた、当時わたしが住んでいた町でも、わたしが子どもの頃はこの日は子どもたちは全員学校へ行く日だった。

教室のテレビを観ながらみんなで黙とうを捧げ、その後は体育館に移動して先生の話を聞き、原爆の歌を歌い、夾竹桃の歌を歌った。
毎年8月6日がやってくると二度とこのような悲劇はあってはならないと、戦争はあってはならないという気持ちになるというのはもちろんそうなのだが、
わたしにとっては平和を願うという思いと共にあるのが、幼いころにこの日がどれだけ恐ろしい日であったかという記憶だ。
ブログを書き始めて来年5月で20年になるが、これまで毎年訪れるこの日に寄せて何度も書こうとして諦め、こんなことを言ってはいけないんだと、こんなことを思ってはいけないんだという思いが強い余り、原爆についても語れないほどにトラウマになってしまっているのだ。
わたしと同じようにトラウマになっている人がいるのかどうかはわからないが、少なくとも実妹サチャンはわたしよりもこのことがトラウマになり、今でも戦争に関する映画やドキュメンタリーなども見れないし、それに関する小説なども読めない。もしかしたら今日のこの記事も読めないかもしれない。




昭和の頃のこの日(1979年くらい)、わたしが通っていた小学校の校内には、壁という壁に隙間なくすべて白黒の恐ろしい原爆の写真(投下されたときのきのこ雲の写真だけではなく、投下された後の人々の身体のショッキングな火傷の写真)が貼られ、廊下を通って教室に入るのすらも怖くてたまらず、その後体育館に集まって平和集会が行われるのだがその歩いていく道中もこの写真が怖くてたまらず、友達に手を引いてもらってわたしは目をつぶって歩いた。
体育館では、戦争に関する映画、例えばはだしのゲンの映画を観ることもあったが、目をつぶり、耳をふさいでいても聞こえてくるそれは本当に恐怖でしかなかった(今でも覚えている、ゲンのお母さんが気がふれてしまって笑いだす場面)。
ある程度大きくなってから、例えば5,6年生になってちゃんと平和学習をしてからであればもっとちゃんとこの広島の原爆に向き合えたのであろうが、何もわからない1年生の頃からこれが毎年だったわたしにとっては、この登校日は恐怖でしかなかった。学校はお化け屋敷よりも怖かった。


今朝は次女と一緒に黙とうを捧げた。
「原爆を許すまじ」も歌った。



わたしは未だに原爆資料館には足を踏み入れることができない。


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昨日の晩ごはんです。
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8月5日(月)の晩ごはん
*肉汁ハンバーグ
*素朴なにんじん
*パプリカのピクルス
*塩キノコのお吸い物
*シャインマスカット



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今月のコラムのために試作していたハンバーグ。
2個盛り付けたけどさすがに1個だよね・・・と思いながら食べ始めたら、めっちゃ美味しくてつい2個食べちゃいましたことをここにご報告申し上げます。






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