2006年10月10日(火)

昨日の10月10日火曜日の晩御飯
*今日も鶏・・・鶏とピーマンのシンプル炒め(レシピはコチラ
*蓮根の柚子胡椒サラダ(レシピはコチラ
*冷奴
*味噌汁
*人参のタラコ和え


また鶏だった(笑)





烏龍茶「煌(ファン)」に載っているレシピがこれ、蓮根のサラダ。
レシピでは生ハムを使ってるんだけど、今日は冷凍のささみをレンジ酒蒸ししたものをほぐして。






普段は往々にして賑やかでやかましく、暇だからという理由だけで妹たちにちょっかいをかけてキーキーと黄色い声を挙げさせ、かと思うとたったの5歳や3歳の女の子相手に剣代わりの新聞紙を丸めたものなどを手に戦いごっこに興じていたりする、同じ年代の男の子からすると少し幼稚かもしれない我が家の小学5年男子。

彼の長所は数え切れないほど沢山あるのだが、それと同じ数くらい短所もあり、そして少々困った一面も持ち合わせている。


例えば、最近では極稀なことになっているが、いつのころからか忘れたが彼は突然、拗ねる。


その顔からは表情と言うものが全て消え、普段のあのおふざけ中のおどけた表情が嘘のように、そこにあるのはふてくされて目を細めてぷいと横を向き、さらには視線すらこちらに上げようともせず、更に困ったことに口も利かない我が儘で意固地な顔になる。
(このような顔になる状態を、「あんな表情」と影で呼んでいることは彼には内緒だ)

このような状態になると、周りがどんなに彼に話しかけようとも、
「あぁ・・・・」
もしくは
「いや・・・・」
くらいしか話そうとせず、視線を遠くに彷徨わせたまま退屈そうにため息をついたりする(#`-_ゝ-)ピキ

そう、周りまで不愉快な空気にしてしまうのだ。


更に困ったことに、こういう状態に陥るのは決まってわたしやオットの前ではなく、わたしやオットに加えて彼の祖父母がいる場なのだ。

義父母やまたはわたしの両親の手前、あからさまに怒鳴りつけるわけにも行かず、横目でチラチラと彼の状態を観察しつつ、気分を変えてやろうと手を尽くすが一旦このような状態に陥ってしまうと、どうしても抜け出せない、それがてんきちなのだ。






果たして「あんな表情」になる原因は何なのか。
未だにはっきりとは原因を特定するには到っていないのだが、どうやら軽い緊張を強いられること普段とは違う態度の両親、などに加えてそこへ何かしらの「きっかけ」が端を発するようだ。

「きっかけ」とは例えばじーじが学校での生活のことや、サッカークラブの内容、さらにはご飯を食べる量に到ってまで細かくそして何度も繰り返し、カワイイ孫を心配する余り口出ししてしまったり・・・・

それともじーちゃんばーちゃんと一緒に出かけた焼肉店のトイレが和式でしかも異様に狭く臭く、潔癖症の彼にとっては衛生状態もよくなかった(・・・・家族だけならば「あのトイレいやだなぁー」と一言言えるのに、祖父母の手前言えないというのもあったのかもしれない)とかいう「きっかけ」。

虫が大嫌いなのに「そんな虫くらい!男のくせに!」という談笑も「きっかけ」となるのかもしれない。

普段は笑って済ますことの出来る、「大人」なてんきちが、笑えなくなったときに「あんな表情」になるのだ。




夏休みにわたしの実家に帰省した折にも彼は「あんな表情」になることがあった。

しかし今年の夏休み、彼が自分で、自分が今どんな表情をしているのか理解し、さらにはそういう顔をしてはいけないということが分かり、そして気分を変えてくれようとしている母や祖父母に応えようと努力しているのが・・・・(努力は報われなかったが)わたしには少しだけ感じられた。


しばしの夏休みが終わって家に戻り、暫くしてから2人っきりになったときにこのときのことを話し合った。
「こういう状態になるよね?」
と言うと彼は表情を固くし、小さく頷く。

普段はあまり自分の意見さえ言おうとしないてんきちが、そういう表情をすることによってある種の「意思表示」をしているのは分かるよ。

嫌なことは嫌って言うことも大事なことだと思うしね。

でもね。


その意志の伝え方によって、周りの人に気を使わせてしまったり、雰囲気が悪くなるほどに拗ねたりするのはどうだろう。

てんきちは自分でもそれが良くないってことは分かってるんだよね。



ただ、うん、うん、と頷くだけのてんきち。

もう5年生なんだから、と言うのは親の勝手な意見なんだろうか。
思ったことを口にすることが出来ない息子の、いつも親に気を使っている息子の、数少ない意思表示の仕方を否定するのは間違っているんだろうか。


その場でガツン!と叱る方法もあるのかもしれない。
それともその場からひとり連れ出して、部屋の隅で叱るという方法も。


甘いと思われるかもしれないが、わたしは「自分が他の人を不愉快にさせてしまうような態度を取っている」ことに気づいて、止めよう止めようと必死に努力したあのてんきちを信じたい。

たぶんまた「あんな表情」になることがあるだろう。


しかし著しく成長する5年生男子が見せる最後の「子どもの顔」なのかもしれないとふと今記事を書きながら思った。